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祇園祭(ぎおんまつり)を見たことはありますか?祇園祭は八坂神社の行事で、毎年7月に行われます。この記事は「人気のお寺・神社関連情報」として、基礎知識から山鉾(やまほこ)の解説、高さ・大きさランキングまで紹介いたします。参考にしてください。
※山鉾の高さ・大きさランキングは、記事後半(下の方)に記載しております。
- 1 京都三大祭「祇園祭」の基礎知識
- 2 祇園祭に登場する山鉾とは?
- 3 山鉾34基をざっくり解説
- 3.1 まず山鉾の専門用語を解説
- 3.2 前祭の山鉾
- 3.2.1 長刀鉾(なぎなたほこ)
- 3.2.2 函谷鉾(かんこほこ)
- 3.2.3 菊水鉾(きくすいほこ)
- 3.2.4 月鉾(つきほこ)
- 3.2.5 鶏鉾(にわとりほこ)
- 3.2.6 放下鉾(ほうかほこ)
- 3.2.7 岩戸山(いわとやま)
- 3.2.8 船鉾(ふねほこ)
- 3.2.9 綾傘鉾(あやがさほこ)
- 3.2.10 四条傘鉾(しじょうかさほこ)
- 3.2.11 山伏山(やまぶしやま)
- 3.2.12 孟宗山(もうそうやま)
- 3.2.13 太子山(たいしやま)
- 3.2.14 郭巨山(かっきょやま)
- 3.2.15 保昌山(ほうしょうやま)
- 3.2.16 油天神山(あぶらてんじんやま)
- 3.2.17 蟷螂山(とうろうやま)
- 3.2.18 伯牙山(はくがやま)
- 3.2.19 木賊山(とくさやま)
- 3.2.20 霰天神山(あられてんじんやま)
- 3.2.21 白楽天山(はくらくてんやま)
- 3.2.22 芦刈山(あしかりやま)
- 3.2.23 占出山(うらでやま)
- 3.2.24 布袋山(ほていやま)<現在は休み山>
- 3.3 後祭の山鉾
- 4 祇園祭「山鉾」の高さ・大きさランキング!
- 5 まとめ
京都三大祭「祇園祭」の基礎知識
祇園祭(ぎおんまつり)の基礎知識として、まずは以下の内容を解説します。
- 祇園祭は八坂神社の行事
- 祇園祭の発祥は神泉苑
- 祇園祭の行事一覧表
- 山鉾巡行は祇園祭で一番の見せ場
- 山鉾巡行の意味
祇園祭は八坂神社の行事
八坂神社(やさかじんじゃ)は、四条通(しじょうどおり)のドンツキ(突き当りのこと)にあり、朱色(しゅいろ)の門が存在感を放っている神社です。
京都人が親しみを込めて「祇園さん(ぎおんさん)」と呼ぶ八坂神社は、有名な祇園祭を行う神社です。祇園祭は大規模な行事で、日本三大祭の1つにも、京都三大祭(きょうとさんだいまつり)の1つにも数えられます。
祇園祭の発祥は神泉苑
863年(平安時代)は病気がたいへん流行し、それをおさめるために神泉苑(しんせんえん)で御霊会(ごりょうえ)という行事が行われました。
御霊会(ごりょうえ)ではお経が読まれたり、舞や演奏が行われたり、いろいろな芸が披露(ひろう)されたりしました。民衆(みんしゅう)にも開放され、天皇もご覧になられたとのことです。
大地震や富士山の噴火など全国的に災いが続く中で、869年(平安時代)には当時の全国の国と同じ66本の鉾(ほこ)を立て、八坂神社(やさかじんじゃ)から神泉苑に神輿(みこし)を送って災いを払(はら)いました。
これが後に町の人々の祭として、鉾に車輪をつけて京の街を行列する祇園祭となったのです。
祇園祭の行事一覧表
現在、祇園祭は7月1日に始まり、7月31日に終わるまで、1か月もの長い間さまざまな行事が行われる大きなお祭りです。
以下にてその行事を一覧で紹介します。
【祇園祭の行事一覧】 | ||
1日~18日 | 吉符入り | 各山鉾町 |
1日 | 長刀鉾町お千度 | 八坂神社 |
2日 | くじ取り式 | 京都市役所 |
3日 | 神面改め(非公開) | 船鉾町 |
5日 | 長刀鉾稚児舞披露 | 長刀鉾町 |
7日 | 綾傘鉾稚児社参 | 八坂神社 |
7日 | 神用水清祓式 | 宮川堤 |
10日 | お迎え提灯 | 八坂神社~本能寺~八坂神社 |
10日 | 神輿洗式 | 四条大橋 |
10日~14日 | 前祭山鉾建て | 各山鉾町 |
12日~13日 | 前祭曳初め | 各山鉾町 |
13日 | 長刀鉾稚児稚児社参、久世稚児社参 | 八坂神社 |
14日~16日 | 前祭宵山 | 各山鉾町 |
15日 | 伝統芸能奉納 | 八坂神社 |
16日 | 献茶祭 | 八坂神社 |
16日 | 石見神楽の奉納 | 八坂神社 |
16日 | 前祭日和神楽 | 各山鉾町・御旅所 |
17日 | 前祭山鉾巡行 | 京都市街地 |
17日 | 神幸祭 | 八坂神社 |
17日~23日 | 無言詣 | 四条御旅所 |
18日~21日 | 後祭山鉾建て | 各山鉾町 |
20日~21日 | 後祭曳初め | 各山鉾町 |
21日~23日 | 後祭宵山 | 各山鉾町 |
23日 | 煎茶献茶祭、琵琶奉納 | 八坂神社 |
23日 | 護摩焚き | 役行者山 |
23日 | あばれ観音 | 南観音山 |
24日 | 後祭山鉾巡行・花傘巡行 | 京都市街地 |
24日 | 還幸祭 | 四条御旅所~八坂神社 |
25日 | 狂言奉納 | 八坂神社 |
28日 | 神用水清祓式 | 宮川堤 |
28日 | 神輿洗式 | 四条大橋 |
31日 | 疫神社夏越祭 | 疫神社(八坂神社内) |
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山鉾巡行は祇園祭で一番の見せ場
祇園祭の見せ場は、毎年7月17日・24日に行われる「山鉾巡行(やまほこじゅんこう)」と、総勢1,600名が神輿(みこし)を担ぐ「神幸祭(しんこうさい)」・「還幸祭(かんこうさい)」です。
特に、重量12トン・高さ25メートルに及ぶ「山鉾(やまほこ)」が巡行する姿は美しくもあり壮観でもあります。
山鉾巡行は前半と後半の二度行われ、17日が前祭(さきまつり)の山鉾巡行、24日が後祭(あとまつり)の山鉾巡行で、それぞれ登場する山鉾は異なります。
他にも山鉾を試し曳(ひ)きする「曳初(ひきぞ)め」や、巡行前3日間の「宵山(よいやま)」も人気です。
山鉾巡行(前祭)<7/17>
9:00から四条烏丸(しじょうからすま)を出発し、四条通(しじょうどおり)・河原町通(かわらまちどおり)・御池通(おいけどおり)を巡行します。
山鉾巡行(後祭)<7/24>
9:30から烏丸御池(からすまいけ)を出発し、御池通(おいけどおり)・河原町通(かわらまちどおり)・四条通(しじょうどおり)を巡行します。
山鉾巡行の意味
山鉾には、穢(けが)れを払う意味合いがあります。前祭(さきまつり)の巡行により町中の穢れを祓(はら)ってから、「神幸祭(しんこうさい)」で八坂神社の神様を神輿(みこし)にてお迎えします。
また、後祭(あとまつり)でも巡行し、もう一度穢れを祓ってから、「還幸祭(かんこうさい)」で神様を八坂神社にお返しします。
巡行後の山鉾は、町中の厄(やく)<わざわい・災難>を集めていますので、巡行が終わるとすぐに解体されます。
祇園祭に登場する山鉾とは?
祇園祭には大きな「山鉾(やまほこ)」が登場します。この「山鉾」について詳しく紹介します。
- 真木がすらっと伸びる巨大な「鉾」
- 舞台のような形に人形や松が立つ「山」
- 鉾と山の違いを詳しく紹介
真木がすらっと伸びる巨大な「鉾」
鉾(ほこ)とは、美しい装飾(そうしょく)品に身を包んだ巨大な出し物で、真ん中にスラっと「真木(しんぎ)」というものが伸びています。
つまり、盾(たて)と鉾(ほこ)でいう「鉾(ほこ)」が、家のような形をした出し物から伸びているのです。
地上から鉾のてっぺんまでは約25メートル、車輪の直径は約1.9メートル、重さ12トン近くにもなるほど巨大な出し物です。
約35~40名が鉾に乗ってお囃子(おはやしを)を演奏し、動くときには約40人~50人で引っ張ります。後述の山もそうですが、鉾は縄がらみという技法により、釘を使わずに建てられます。
舞台のような形に人形や松が立つ「山」
舞台のような形の出し物に、人形や松が立つ(立てていないのもあります)のが「山(やま)」です。山の大きさは、地上から松の木までの高さが約6メートル、重さは1.2トン~1.6トンとなっています。
あまりにも鉾が大きすぎるため、横に並ぶと小さく見えますが、山も十分立派です。
鉾と山の違いを詳しく紹介
鉾と山の違いは、大雑把(おおざっぱ)に言うと「大きいのが鉾、小さいのが山」です。もう少し詳しくいうと、出し物の中心にそびえ立つ真木にシンボルが掲げられているものが「鉾」で、屋根に木が生えているものが「山」です。
ただし例外もあります。10基の鉾のうち6基が25m級の大きな鉾なのですが、船の形をした6m級の船鉾(ふねほこ)が2基、直径約2.6mの傘の形をした傘鉾(かさほこ)が2基あります。
山にも例外があり、24基のうち4基が曳山(ひきやま)です。曳山とは胴体が鉾と同じ形状で、真木ではなく松を付けた出し物です。
鉾と山が融合したような曳山は、山でありながら17mほどの大きさがあります。曳山ではない通常の山のことは「舁山(かきやま)」ともいいます(厳密にいうと屋台という種類の山もあります)。
山鉾の種類を一覧でまとめたのでご覧ください。
鉾(ほこ) | |
船鉾(ふねほこ) | |
傘鉾(かさほこ) | |
曳山(ひきやま) | |
舁山(かきやま) | |
屋台(やたい) |
山鉾34基をざっくり解説
ここまで祇園祭の基礎知識や、山鉾について解説して来ましたが、ここからは山鉾34基について解説致します。知っていると祇園祭がより楽しくなりますので、ぜひご一読ください。
尚、先述の通り、前祭と後祭がありますので、前祭の山鉾と後祭の山鉾に分けて紹介いたします。
- まず山鉾の専門用語を解説
- 前祭の山鉾
- 後祭の山鉾
まず山鉾の専門用語を解説
山鉾を解説する前に、専門用語が分かりづらいかと思いますので、専門用語から解説します。知っておくと便利なのが「水引(みずひき)」「前懸(まえかけ)」「胴懸(どうかけ)」「見送(みおくり)」です。
それぞれがどの部分なのかは以下の画像をご確認ください。
また、「ご神体人形」という言葉も出てきますが、ご神体人形とは神様が宿る人形だと知っておきましょう。
前祭の山鉾
前祭の山鉾は、鉾6基、船鉾1基、傘鉾2基、曳山1基、山13基の合計23基です。前祭の山鉾を順番に見ていきましょう。
長刀鉾(なぎなたほこ)
長刀鉾は、鉾の先端に大きな長刀をつけているため「長刀鉾」と呼ばれています。もとは三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)という職人が作った長刀を使っていましたが、現在のものは1522年(室町時代)に作られた三条長吉(さんじょうながよし)の長刀を保存し、複製された長刀を使っています。
祇園祭の巡行順は「くじ」で決まりますが、長刀鉾は毎年必ず先頭と決まっています。人形ではなく生きたお稚児(ちご)さんが乗るという特徴もあります。
函谷鉾(かんこほこ)
中国戦国時代(前403~221)、斉(せい)という国の孟嘗君(もうしょうくん)という人が、鶏(にわとり)の鳴き声を真似して「函谷関(かんこくかん)」という関所を脱出しました。
その話にちなんで「函谷鉾(かんこほこ)」と名付けられています。鉾の先端は三角形の上に月が乗っているデザインですが、これは山の中の闇を表しています。
真木の中ほどに孟嘗君(もうしょうくん)やオス・メスの鶏が設置されており、前懸は旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末のもので、重要文化財(じゅうようぶんかざい)の前懸を2006年に復元・新調しています。
菊水鉾(きくすいほこ)
菊水鉾は1864年(江戸時代)、戦争による火災で燃えてしまいましたが、 1952年(昭和27年)に復活し、「昭和の鉾」と呼ばれています。
菊水鉾の名前は、古くから町内にある「菊水井(きくすい)」という井戸にちなんでおり、鉾の先端には、金色の菊が咲いているように付けられています。
中央部が丸みをおびた「唐破風(からはふ)」という屋根の造りは、ほかの鉾と印象の違いを生み出しており、遠くからでも一目で菊水鉾だと判別可能です。
月鉾(つきほこ)
月鉾は、鉾の先端に18金製の新月型(みかづき)を付けており、真木の中ほどには月読尊(つくよみのみこと)を祀(まつ)っています。
屋根裏には、江戸時代に活躍した絵師「円山応挙(まるやまおうきょ)」による「金地彩色草花図(きんじさいしょくそうかず)」が描かれるほか、江戸時代の伝説的職人「左甚五郎(ひだりじんごろう)」の彫刻があるなど、山鉾の中でも特に豪華で、「動く美術館」と称えられています。
鶏鉾(にわとりほこ)
中国古代、堯(ぎょう)という君主が国を治めた時代は、世の中がよく治まっていたので、訴訟につかう太鼓(たいこ)を使うことがありませんでした。そのため、太鼓にコケが生え、鶏が宿ったというのが鶏鉾の題材です。
鉾の先端は三角形の中に円形というデザインとなっており、鶏の卵が太鼓の中にあるという意味だとされていますが、はっきりしたことは分かっていません。
見送は最近の調査によると「トロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図」とのことです。16世紀頃にベルギーで製作され、江戸時代初期に日本に輸入されたと考えられており、国の重要文化財に指定されています。
放下鉾(ほうかほこ)
放下鉾は、執着や煩悩(ぼんのう)などの一切を捨てたとされる「放下僧(ほうかそう)」を真木の中ほどに祀(まつ)っており、その放下僧が鉾名の由来です。
鉾の先端は「日・月・星」の三光が下界を照らす形で、その形が州浜(すはま)<浜辺と入り江の姿をあらわしたもので、平安時代からみられる州浜を表した文様(もんよう)がある>に似ているため、「すはま鉾」とも呼ばれています。
久邇宮多嘉王殿下(くにのみやたかおうでんか)から三光丸(さんこうまる)と名付けられたお稚児さんの人形は、鉾の上で舞ができるように作られています。
岩戸山(いわとやま)
天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天岩戸(あまのいわと)を開いて現れた日本神話が題材となった山で、鉾の代わりに松の木を立てた曳山(ひきやま)です。
天照大神のご神体人形と、手力男尊(たぢからおのみこと)<戸隠(とがくし)大明神>のご神体人形を安置し、屋根の上に伊弉諾尊(いざなきのみこと)のご神体人形が乗っているという特徴があります。
船鉾(ふねほこ)
船の形をした鉾は、室町時代の大戦である応仁の乱(おうにんのらん)以前より2基ありました。神功皇后(じんぐうこうごう)は、お腹に赤ちゃんがいながら男性の姿で海戦をし、勝利してから皇子を産みました。
その神話を題材にした船鉾のうち、この船鉾は「出陣(しゅつじん)の船鉾」として前祭(さきまつり)に登場し、巡行で一番後ろをつとめます。
神功皇后のご神体は安産の神とされており、妊娠中にまく岩田帯(いわたおび)を巻いて巡行し、巡行の後で妊婦さんに授与されます。ちなみに、神功皇后(じんぐうこうごう)が実在したかは定かではありません。
綾傘鉾(あやがさほこ)
綾傘鉾は、棒をもった人が、鉦(かね)や太鼓(たいこ)、笛(ふえ)に合わせて踊りながら、大きな傘とともに巡行します。
1834年(江戸時代)に小型の鉾に改造されたものの、火災で燃えてしまいました。町内の人々の努力が実り、1979年(昭和54年)から巡行することとなり、山鉾の古い形態を今に伝えています。
四条傘鉾(しじょうかさほこ)
四条傘鉾も綾傘鉾と同様に、棒をもった人が、鉦(かね)や太鼓(たいこ)、笛(ふえ)に合わせて踊る「棒(ぼう)ふりばやし」とともに、大きな傘が巡行する古い鉾の形態です。
1871年(明治4年)の巡行後は絶えていたのですが、1985年(昭和60年)に傘鉾の本体が復活し、1988年(昭和63年)から「踊り」と「お囃子(はやし)」が復元され、巡行にも復帰することとなりました。
山伏山(やまぶしやま)
山伏山は、ご神体人形が山伏の姿をしているため、そのまま「山伏山」と呼ばれています。
この山伏は浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)という山伏で、八坂(やさか)の塔と呼ばれて親しまれている法観寺(ほうかんじ)の五重塔(ごじゅうのとう)が傾いたとき、法力(ほうりき)という力でなおしたと伝わります。
巡行の数日前から聖護院(しょうごいん)というお寺の山伏たちが参拝することでも知られている山です。
孟宗山(もうそうやま)
病気の母親が欲しがる筍(たけのこ)を、雪の中にもかかわらず掘りあてたという孟宗(もうそう)の親孝行を題材にした山です。
右手に雪が積もった筍を持ち、左手には鍬(くわ)を肩にかついでいるご神体人形は、江戸時代の仏師である康朝の作といわれています。
昭和15年以来、竹内栖鳳(たけうちせいほう)という画家による墨画の見送が用いられており、その地味さによりかえって目立つ見送です。
太子山(たいしやま)
聖徳太子が四天王寺(してんのうじ)を建てるのにあたり、自ら山中に入って良い材料を探したという言い伝えが題材で、聖徳太子の名前から太子山となっています。
ご神体人形は、右手に斧、左手に衵扇(あこめおうぎ)<宮中で用いられた木製の扇>を持つ少年の太子像で、宵山(よいやま)には聖徳太子にちなみ、知恵が得られるという「杉守り」「知恵のお守り」が授与されます。
基本的に山は松を立てますが、太子山は杉を立てているという特徴があります。
郭巨山(かっきょやま)
その昔、貧しかった郭巨(かっきょ)という人は、わが子と母親を共に養うことができませんでした。「親はもう作れないけれど、子供はまた作ることができる」と、子供を埋めて母親を養う事に決めました。
そして、子供を埋めるために土を掘ると黄金の釜があらわれ、子供も母親も養うことができたというお話を題材にしています。
別名「釜掘り山(かまほりやま)」とも呼ばれる郭巨山は、屋根付きの特徴的な姿をしています。
保昌山(ほうしょうやま)
保昌山は、平安時代の貴族「藤原保昌(ふじわら の やすまさ)」と、平安時代の歌人「和泉式部(いずみしきぶ)」の恋物語が題材です。
保昌が式部のために紫宸殿(ししんでん)の紅梅を折ってくる姿を現しており、古くは「花盗人山(はなぬすっとやま・はなぬすびとやま)」と呼ばれました。
山の題材にちなんで、宵山には「縁結び」のお守りが授与されます。
油天神山(あぶらてんじんやま)
町内にあった天神様を迎えて祀った山で、油小路綾小路下ル(あぶらのこうじあやのこうじくだる)という場所にあるため、「油天神山」と呼びます。
また、天神様を迎えて祀った日が丑(うし)の日<12日周期の十二支が「丑の日」にあたる日>だったので、「牛天神山(うしてんじんやま)」とも呼ばれます。
山の上には鳥居(とりい)やお社(おやしろ)があり、巡行の日は小さな神社が動いているように見えます。
蟷螂山(とうろうやま)
中国の故事に、カマキリが前足を振り上げて、大きな車に立ち向かうという「蟷螂の斧(とうろうのおの)」というのがあります。自分の力を顧みずに強者に立ち向かうという意味です。
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿(くぎょう)、四条隆資(しじょうたかすけ)が、後の第二代室町幕府将軍の足利義詮(あしかが よしあきら)軍に挑んで戦死しました。
その様子が「蟷螂の斧」だったため、四条家の御所車(ごしょぐるま)<御所の周辺で皇族や貴族に使われる乗り物>に蟷螂を乗せ、巡行したのがはじまりといわれています。
1864年(江戸時代)の火災で大半が燃えてしまいましたが、1981年(昭和56年)に復活しています。御所車の車輪やカマキリが動くなど、山鉾で唯一「からくり」が施されている山として知られています。
伯牙山(はくがやま)
中国の周(しゅう)という時代に、琴(こと)の名人である伯牙(はくが)が、友人である鍾子期(しょうしき)の死を聞いて、「琴を弾くに値する人がいなくなった」と思い、琴を割りました。
そのため「琴破山(ことわりやま)」とも呼ばれています。そんな伯牙がご神体人形で、琴を前にして手に斧を持つ伯牙の表情は印象的です。
木賊山(とくさやま)
謡曲(ようきょく)<能の脚本>「木賊(とくさ)」を題材にした山で、我が子を人にさらわれた老人が、信濃国伏屋(しなののくにふせや)の里で木賊(とくさ)を刈る姿をあらわしています。
ご神体人形の老人は、左手に木賊、右手に鎌を持ち、なんとも寂し気な雰囲気をかもしだしています。ちなみに、能の舞台では親子が対面する結末となっています。
霰天神山(あられてんじんやま)
室町時代に京都で大きな火災があった際、霰(あられ)が降ってきて火が消えました。その時、約3.6cmの天神像が降ってきたので、これを祀ったのが始まりといわれています。
そのことから「火除(ひよけ)天神山」と呼ばれることもあるほか、錦小路通室町西入(にしきこうじどおりむろまちにしいる)にあるため「錦(にしき)天神山」とも呼ばれています。
山の上には神殿が安置されており、油天神山(あぶらてんじんやま)と同様に、巡行の日は小さな神社が動いているように見えます。
白楽天山(はくらくてんやま)
中国の唐(とう)という時代における、白楽天(はくらくてん)と道林禅師(どうりんぜんし)が題材となっています。
詩人である白楽天が「仏法の真髄は何ですか?」と聞くと、道林禅師は「それは悪い行いをせず、良い行いをすること」と答えたました。
「そんな事は3歳の子供でも知っている」と呆れた白楽天に対して、道林禅師は「しかし80歳の老人でも行い難い」と答え、白楽天が感心したというお話です。
ご神体人形は、白楽天が道林禅師に問う場面となっています。
芦刈山(あしかりやま)
訳があって妻と離れ、芦(あし)を刈る老人が、やがて再会を果たす謡曲「芦刈(あしかり)」が題材となっている山です。
ご神体人形の老人が着ている「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖(あやじしめきりちょうぼたんもんかたみがわりこそで)」は、山鉾最古の衣装で重要文化財に指定されています。
また、前懸、胴懸、見送などに、貴重な染織品(せんしょくひん)を多く残しています。
占出山(うらでやま)
神功皇后が肥前国(ひぜんこく)松浦<現在の佐賀県と長崎県にあった>で鮎(あゆ)を釣り、戦勝のきざしとした話が題材です。別名「鮎釣山(あゆつりやま )」ともいいます。
金色の烏帽子(えぼし)という帽子をかぶったご神体人形は、右手に釣竿(つりざお)、左手に釣り上げた鮎を持っており、独特の雰囲気をかもしだしています。
またこの山の巡行のくじ順が早ければ、お産が軽いといわれているほか、宵山には安産のお守りと腹帯とが授与されます。それらは妊婦さんへのお土産(みやげ)として求める人が多いです。
布袋山(ほていやま)<現在は休み山>
布袋山は七福神の一人「布袋さん」を祀った山で、1788年(江戸時代)に起きた「天命の大火(てんめいのたいか)」で、ご神体人形を残して燃えてしまいました。そのため、現在は巡行に参加していない「休み山(やすみやま)」となっています。ただ、16日までの宵山(よいやま)期間中は、マンションの一角に布袋さん展示するほか、粽(ちまき)やお守りなどが販売され、御朱印(ごしゅいん)もいただけます。
後祭の山鉾
後祭の山鉾は、船鉾1基、曳山3基、山7基の合計11基です。後祭の山鉾を順番に見ていきましょう。
北観音山(きたかんのんやま)
北観音山は、楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)と韋駄天立像(いだてんぞう)を安置する曳山(ひきやま)で、1353年(室町時代)に初めて建てられたと記録されています。
巡行の時には、見送の横から観音像を示す柳の枝を差し出すのが特徴で、これは観音懺法(かんのんせんぼう)<観音様を迎えて懺悔(ざんげ)する儀式作法>にちなんでいます。
そんな北観音山は、後ほど説明する南観音山(みなみかんのんやま)の「下り観音山(くだりかんのんやま)」の通称に対して、「上り観音山(のぼりかんのんやま)」とも呼ばれています。
南観音山(みなみかんのんやま)
華厳経(けごんきょう)というお経に登場する善財童子(ぜんざいどうじ)は、順に教えられて南へ南へと53人の聖者を訪ねて修業をしました。
その話は東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)や指南(しなん)という言葉の語源となっています。
そんな善財童子とともにご神体となっているのが、本尊(ほんぞん)の楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)です。
鎌倉時代に造られた楊柳観音像は、江戸時代に起きた「天明の大火(てんめいのたいか)」で頭と胸の部分だけが残り、その他は善財童子とともに江戸時代の像です。
南観音山も巡行の際、見送の横から柳の枝を差し出しています。また、先ほど説明したとおり「下り観音山(くだりかんのんやま)」とも呼ばれています。
鷹山(たかやま)
鷹山は応仁の乱よりも前から巡行していた由緒ある山で、平安時代の中納言「在原行平(ありわらのゆきひら)」が鷹狩(たかが)りをする場面を題材にした山です。
ご神体人形は鷹匠(たかじょう)<鷹使い>、犬飼(いぬかい)<鷹を補助する猟犬を扱う者>、樽負(たるおい)<道具等を運ぶ者>の3体が乗っています。
災害にあいながら復活してきたのですが、大風雨や幕末の蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)により、大部分を焼失しました。
しかし、近年少しずつ復興し、2022年(令和4年)には196年ぶりに巡行への本格復帰が実現しています。北観音山や南観音山に似た曳山で、その姿は大変立派です。
大船鉾(おおふねほこ)
前祭に登場する船鉾(ふねほこ)が「出陣(しゅつじん)の船鉾」と呼ばれるのに対して、後祭に登場する大船鉾(おおふねほこ)は、「凱旋船鉾(がいせんのふねほこ)」と呼ばれています。
500年余りの歴史を持つ大船鉾ですが、蛤御門の変で焼失し、それ以降は巡行に参加できませんでした。しかし、2014(平成26年)に巡行に復帰し、焼失から150年の目の復活を遂げました。
船の先には、御幣(ごへい)というものと龍の頭を毎年交互に設置して巡行します。
※写真は御幣
橋弁慶山(はしべんけいやま)
橋弁慶山は、牛若丸(うしわかまる)と弁慶(べんけい)が、五条大橋(ごじょうおおはし)で戦う姿を題材としています。
鎧(よろい)姿で大きな長刀(なぎなた)をかまえる弁慶と、橋の上で右手に太刀(たち)を持つ牛若丸からは、戦いの緊張感が伝わってきます。
そして、橋の上に乗る牛若丸人形は下駄(げた)金具一本で固定され、落ちないかヒヤヒヤするほどアクロバティックです。
橋弁慶山は巡行順のくじをせず、古来より後祭巡行の先頭を進みます。
役行者山(えんのぎょうじゃやま)
役行者(えんのぎょうじゃ)とは、山で厳しい修行をする「修験道(しゅげんどう)」を開いた人のことです。
役行者山は、応仁の乱よりも前から存在する山で、役行者と一言主神(ひとことぬしのかみ)、葛城神(かつらぎのかみ)の3体がご神体です。
役行者が一言主神を使って葛城山(かつらぎさん)と大峰山(おおみねさん)の間に橋を架けさせたという伝承を思い起こさせます。
鯉山(こいやま)
鯉山には、山の上に大きな鯉(こい)が安置されており、勢いよく滝を登る姿を表しています。鯉の滝登り以外には、朱色の鳥居と小さなお社(やしろ)が安置されており、お社には素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀っています。
前懸や胴懸(2枚)・水引(2枚)・見送は、16世紀にベルギー・ブラッセルで製作されました。1枚の毛綴(けつづれ)を裁断(さいだん)して用いたもので、重要文化財に指定されています。
八幡山(はちまんやま)
町内に祀られている八幡宮(はちまんぐう)の神様を、山の上に迎えて祀ったもので、金色で美しいお社(やしろ)が乗っています。
水引は1986年(昭和61年)から「十長生図(じっちょうせいず)」が使われており、「十長生」とは不老長寿を意味します。
また、鳥居の上で2羽の鳩(はと)が向き合っているのですが、この鳩の彫刻は、江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人「左甚五郎(ひだりじんごろう)」作とのことです。
鈴鹿山(すずかやま)
伊勢国(いせのくに)<現在の三重県の北中部・愛知県の一部・岐阜県の一部>の鈴鹿山(すずかやま)で、道ゆく人々を苦しめた悪い鬼を退治した鈴鹿権現(すずかごんげん)<瀬織津姫尊(せおりつひめのみこと)>を祀る山です。
ご神体人形の鈴鹿権現は、金色の烏帽子(えぼし)という帽子をかぶり、手には大きな長刀をもつ女人の姿となっています。
また、松の木の下には、「赤熊(しゃぐま)」というカツラのようなもので表現した悪鬼の首が置かれています。
黒主山(くろぬしやま)
平安い時代の歌人である「大伴黒主(おおとものくろぬし)」が、桜の花を見上げながら眺めている姿をあらわしています。
桜は本物ではなく造花(ぞうか)ですが、本物と勘違いするぐらい、精工で美しくつくられています。また、この造花を出入口に挿(さ)しておくと、悪事を避けられるといわれています。
大伴黒主のご神体人形が着ている衣装は、江戸時代初期の「銘(めい)<製作者や製作年月日が記されていること>」があり、大変貴重な衣装であることが分かります。
浄妙山(じょうみょうやま)
平家物語(へいけものがたり)における「宇治川の合戦(うじがわのかっせん)」が題材となっている山です。
1180年(平安時代)にあった宇治川の合戦にて、三井寺(みいでら)の僧兵である筒井浄妙(つついじょうみょう)が一番乗りをしようと橋げたを渡ると、一来法師(いちらいほうし)という僧兵が「悪しゅう候、御免あれ(あしゅうそうろうごめんあれ)<ごめんね。悪く思うなよ>」と飛び越えて行きました。
そのシーンを表現している山で、ご神体人形を見ると、一来法師の人形が筒井浄妙人形の頭に手を乗せて飛び越え、先陣を取りに行っています。
以前は「悪しゅう候山」とも呼ばれていました。ちなみに、筒井浄妙が着ている「黒韋威肩白胴丸(くろかわおどしかたしろどうまる)」という鎧は、室町時代に作られ、重要文化財に指定されています。
祇園祭「山鉾」の高さ・大きさランキング!
祇園祭「山鉾」にまつわる、以下ランキングを作ってみました。いずれも、規模が大きい「鉾」と「曳山」に絞って作成しており、それ以外の山は含めておりません。
ちなみに、参考としたデータは鉾連合会(やまほこれんごうかい)が京都市建設局道路明示課に提出している「特殊車両通行許可申請書」に記載の公称値(こうしょうち)<表むきの数値>であることが前提です。
- 山鉾の高さランキング!1位は月鉾
- 山鉾の幅ランキング!1位は南観音山
- 山鉾の長さランキング!1位は大船鉾
- 山鉾サイズランキング早見表
山鉾の高さランキング!1位は月鉾
山鉾で最も背が高いのは月鉾です。その高さは26m77cmとのことで、2位の菊水鉾よりも1.7m以上高いです。
鉾の先端の形状から長刀鉾が一番高いと思われがちですが、実は6位です。真木を立てている鉾の中では一番低いことが分かります。
7位以降は真木ではなく松を立てている曳山が続き、船鉾2基は10位・11位となっています。
順位 | 山鉾名 | 高さ |
1位 | 月鉾 | 26m77cm0mm |
2位 | 菊水鉾 | 25m00cm0mm |
3位 | 放下鉾 | 24m60cm0mm |
4位 | 函谷鉾 | 24m17cm0mm |
5位 | 鶏鉾 | 23m88cm0mm |
6位 | 長刀鉾 | 21m76cm0mm |
7位 | 南観音山 | 17m24cm0㎜ |
8位 | 北観音山 | 17m00cm0mm |
9位 | 岩戸山 | 14m4cm5mm |
10位 | 船鉾 | 6m60cm0mm |
11位 | 大船鉾 | 6m35cm0mm(2024年に車輪新調。若干高くなる可能性あり) |
※鷹山は詳細不明。読売新聞による参考値として、高さ18m(メディアにより17メートルと紹介するケースあり)、幅4.3m、長さ6.3m
山鉾の幅ランキング!1位は南観音山
山鉾の幅は、南観音山が1位です。同じ曳山の北観音山や岩戸山よりも50cm以上長い幅です。鉾と曳山の胴体は同じサイズと思っている人が多いようですが、実は山鉾ごとにサイズが異なります。
順位 | 山鉾名 | 幅 |
1位 | 南観音山 | 4m45cm0mm |
2位 | 長刀鉾 | 4m35cm0mm |
3位 | 月鉾 | 4m10cm0mm |
4位 | 菊水鉾 | 3m95cm0mm |
5位 | 函谷鉾 | 3m95cm0mm |
6位 | 北観音山 | 3m95cm0mm |
7位 | 岩戸山 | 3m90cm0mm |
8位 | 放下鉾 | 3m80cm0mm |
9位 | 鶏鉾 | 3m70cm0mm |
10位 | 船鉾 | 3m30cm0mm |
11位 | 大船鉾 | 3m25cm0mm |
※鷹山は詳細不明。読売新聞による参考値として、高さ18m(メディアにより17メートルと紹介するケースあり)、幅4.3m、長さ6.3m
山鉾の長さランキング!1位は大船鉾
鉾の長さは大船鉾が1位で、その長さは7m47cmもあります。「幅が広い山鉾」と「長さが長い山鉾」はあまり一致しておらず、幅と長さそれぞれのランキングにて、順位が大きく入れ替わっています。
順位 | 山鉾名 | 長さ |
1位 | 大船鉾 | 7m47cm0mm |
2位 | 函谷鉾 | 7m00cm0mm |
3位 | 菊水鉾 | 6m95cm0mm |
4位 | 月鉾 | 6m85cm0mm |
5位 | 船鉾 | 6m85cm0mm |
6位 | 鶏鉾 | 6m62cm0mm |
7位 | 南観音山 | 6m55cm0mm |
8位 | 長刀鉾 | 6m42cm0mm |
9位 | 北観音山 | 6m36cm0mm |
10位 | 岩戸山 | 6m35cm0mm |
11位 | 放下鉾 | 6m34cm0mm |
※鷹山は詳細不明。読売新聞による参考値として、高さ18m(メディアにより17メートルと紹介するケースあり)、幅4.3m、長さ6.3m
山鉾サイズランキング早見表
上記を踏まえ、山鉾の「高さ」「幅」「長さ」の順位を山鉾別にまとめました。良かったらご覧ください。
山鉾名 | 高さ | 幅 | 長さ |
月鉾 | 1位 | 3位 | 4位 |
菊水鉾 | 2位 | 4位 | 3位 |
放下鉾 | 3位 | 8位 | 11位 |
函谷鉾 | 4位 | 5位 | 2位 |
鶏鉾 | 5位 | 9位 | 6位 |
長刀鉾 | 6位 | 2位 | 8位 |
南観音山 | 7位 | 1位 | 7位 |
北観音山 | 8位 | 6位 | 9位 |
岩戸山 | 9位 | 7位 | 10位 |
船鉾 | 10位 | 10位 | 5位 |
大船鉾 | 11位 | 11位 | 1位 |
特に人気がある山鉾はどれ?
山鉾は祇園祭で特に注目を集める出し物ですが、中でも特に人気の山鉾として以下を紹介します。
- 人だかりができる長刀鉾
- トップクラスの人気を誇る月鉾
- 子どもたちに人気の蟷螂山
- 近年復活した大船鉾と鷹山
人だかりができる長刀鉾
長刀鉾(なぎなたほこ)は山鉾巡行の先頭を行くことや、お稚児さんが生身の人間であることなどから、特に人気がある山鉾です。
鉾が建ってから山鉾巡行までの間、長刀鉾の周りは人だかりとなります。係員が「ここで止まらないでください」と常に呼びかけるほど、見物人で一杯となります。
トップクラスの人気を誇る月鉾
月鉾(つきほこ)は先述の通り、山鉾の中でも特に豪華であることや、最も背が高い鉾であること、鉾の先端が三日月という愛着などから、たいへん人気の高い鉾です。
動く美術館の通称に相応しい見事な鉾であり、長刀鉾とともに山鉾の中で一二を争う人気ぶりです。
子どもたちに人気の蟷螂山
蟷螂山(とうろうやま)は、御所車(ごしょぐるま)に乗ったカマキリが動く山で、たいへん人気の山です。山鉾巡行でカマキリが羽ばたくと、見物している人が「おー」と声をあげ、特に子どもたちが見て喜びます。
宵山などでは、カラクリのカマキリがくじを引いてくれる「カマキリみくじ」に行列ができ、こちらも特に子どもたちに人気です。
近年復活した大船鉾と鷹山
近年復活した山鉾も人気です。2014(平成26年)に巡行に復帰した大船鉾(おおふねほこ)は、焼失から150年目の復活ということで注目を集めました。
また、2022年(令和4年)に巡行への本格復帰が実現した鷹山(たかやま)も、196年ぶりということで注目を集めました。
特に復活の年には一目見ようと多くの人が押し掛けた山鉾です。
まとめ
祇園祭は八坂神社の行事で、その発祥は神泉苑にあるお祭りです。1か月もの長い間さまざまな行事が行われる大きなお祭りで、京都三大祭だけでなく日本三大祭の1つにも数えられています。
祇園祭には多くの見どころがありますが、特に山鉾巡行は壮観です。毎年7月17日と24日に行われますので、ぜひそれぞれ鑑賞しに行きましょう。
山鉾を知ると、より一層祇園祭を楽しめますので、この記事を参考にしていただき、楽しく思い出に残る祇園祭を過ごしてください。
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