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京都には有名な金閣寺や銀閣寺がありますが、銅閣寺はないのでしょうか?この記事では銅閣寺について紹介します。また、金閣・銀閣を含めた京の5閣についても解説します。ぜひ、京都観光の参考にしてください。
京都で銅閣寺と呼ばれる大雲院
京都には、世界的に有名なお寺として金閣寺(きんかくじ)〈正式には鹿苑寺(ろくおんじ)〉と銀閣寺(ぎんかくじ)〈正式には慈照寺(じしょうじ)〉がありあすが、実は銅閣寺(どうかくじ)と呼ばれるお寺があります。
通称で銅閣寺と呼ばれる「大雲院(だいうんいん)」について、以下内容を紹介します。
- 大雲院の歴史
- 銅閣は祇園祭の鉾がモチーフの「祇園閣」
- 大雲院は非公開のお寺
- 大雲院の周辺地図・大雲院への交通アクセス
大雲院の歴史
大雲院(だいうんいん)は京都市東山区にあり、織田信長と信忠(のぶただ)親子を弔(とむら)うため、1587年(戦国時代)に建てられました。
最初は烏丸二条(からすまにじょう)というところに建てられたのですが、豊臣秀吉が寺町四条(てらまちしじょう)というところに移転し、さらに1973年(昭和時代)に現在地(下記に地図掲載)に移りました。
現在、大雲院が存在する場所は、元は大倉喜八郎(おおくらきはちろう)の別荘でした。大倉喜八郎とは一代で富を築いた大富豪で、鹿鳴館(ろくめいかん)や帝国ホテル、帝国劇場などを設立したことで知られています。
銅閣は祇園祭の鉾がモチーフの「祇園閣」
大倉喜八郎(おおくらきはちろう)は、「金閣も銀閣もあるのだから銅閣も作る」ということで銅閣を建てたとのことです。
その姿は京都三大祭(きょうとさんだいまつり)の1つに数えられる祇園祭(ぎおんまつり)の「鉾(ほこ)」がモデルとなっていることから「祇園閣(ぎおんかく)」と名付けられました。
1928年(昭和時代)に建てられた祇園閣の屋根は、銅を薄くした板で覆われた「銅板葺(どうはんぶき)」であり、銅閣と通称されるにふさわしい建物となっています。
先述のとおり、昭和に大雲院が現在地に移転しました。そのことで銅閣は大雲院の持ち物となったため、大雲院は銅閣寺と呼ばれるようになったのです。
大雲院は非公開のお寺
大雲院は非公開のお寺ですので、普段は中に入ることができません。不定期に公開されることがありますので、タイミングが合えばぜひ参拝してください。
大雲院の周辺地図
大雲院の住所は「〒605-0074 京都市東山区祇園町南側594-1」です。以下にて地図を掲載しますので、参考としてください。
大雲院への交通アクセス
大雲院への交通アクセスは、市バス「祇園(ぎおん)」バス停から徒歩約5分です。また、京阪電車「祇園四条駅(ぎおんしじょうえき)」から徒歩約15分です。
金閣・銀閣・飛雲閣で京の3閣
銅閣のお話しとは別に、京の3閣というのがあります。それは、鹿苑寺の金閣、慈照寺の銀閣、西本願寺(にしほんがんじ)の飛雲閣(ひうんかく)の3つです。以下、京の3閣を解説いたします。
- 金閣寺の金閣
- 銀閣寺の銀閣
- 西本願寺の飛雲閣
金閣寺の金閣
鹿苑寺(ろくおんじ)内の鏡湖池(きょうこち)という池の端(はし)建てられいる舎利殿(しゃりでん)のことを、通称で金閣といいます。
鹿苑寺の入り口から歩いて金閣が見えた瞬間、美しさのあまり声をあげている観光客をよく見かけます。また、鏡湖池に映りこむ金閣も見事で、金閣を含む庭園は、現実離れした美しさを誇っています。
金閣は三層構造となっており、一層目が法水院(ほうすいいん)、二層目が潮音洞(ちょうおんどう)、三層目が究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれています。
それぞれが異なる雰囲気でありながら、全体がうまく調和れており、室町時代の代表的建物の様子を伝えています。
層 | 名称 | 様式 | 特徴 |
一階 | 法水院 | 寝殿造 | 足利義満像、宝冠釈迦如来像を安置 |
二階 | 潮音洞 | 武家造 | 岩屋観音や四天王像を安置 |
三階 | 究竟頂 | 禅宗仏殿造 | 漆塗りの床とあたり一面の金箔のお部屋 |
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銀閣寺の銀閣
慈照寺(じしょうじ)の観音殿(かんのんでん)のことを銀閣と呼びます。銀閣は二層構造となっており、一層目を心空殿(しんくうでん)、二層目を潮音閣(ちょうおんかく)といいます。
金閣は金箔(きんぱく)でおおわれていますが、銀閣に銀箔(ぎんぱく)はありません。過去に貼られたこともありません。
実は、銀箔ではなくて黒漆(くろうるし)が塗られていたようです。黒い漆が光を反射し、銀色に見えたのかも知れません。
層 | 名称 | 様式 | 特徴 |
一階 | 心空殿 | 書院造 | 千種地蔵菩薩像を安置 |
二階 | 潮音閣 | 禅宗仏殿造 | 観音菩薩像を安置 |
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西本願寺の飛雲閣
大学の隣ですが、飛雲閣が一般公開してたので、久々に見てきた。天気が良くて映える。締切間近の原稿執筆を忘れさせる!#飛雲閣修復 pic.twitter.com/Akkqrf1dy0
— H1guch1 K¥tarQ (@AuHxpm7JWiOoQ6q) May 21, 2019
京都市下京区にある西本願寺(にしほんがんじ)には、飛雲閣(ひうんかく)と呼ばれる建物があります。三層構造となっている飛雲閣(ひうんかく)は、上の階に行くほど建物が小さい独特の形をしています。
柱が細くて障子(しょうじ)が多いその姿から、空に浮かぶ雲になぞらえ、飛雲閣という名がつけられたとされています。
層 | 特徴 |
一階 | 招賢殿、八景の間、舟入の間、憶昔(茶室)で構成 |
二階 | 歌仙の間 |
三階 | 摘星楼と呼ばれる |
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更に呑湖閣と伝衣閣を加えて京の5閣
金閣・銀閣・飛雲閣で京の3閣とお伝えしましたが、そこに大徳寺(だいとくじ)の芳春院(だいとくじほうしゅんいん)を加えて京の4閣、さらに東福寺(とうふくじ)の伝衣閣(でんねかく)を加えて京の5閣と呼ばれています。
ここでは、呑湖閣と伝衣閣について紹介します。
- 大徳寺芳春院の呑湖閣
- 東福寺の伝衣閣
大徳寺芳春院の呑湖閣
呑湖閣の特別公開にきました。 pic.twitter.com/NBCs1aGxMU
— けんちゃん1973 (@kentyan1973) February 8, 2014
芳春院(ほうしゅんいん)は、大徳寺(だいとくじ)の塔頭(たっちゅう)で、戦国大名・前田利家(まえだとしいえ)の妻のである「まつ」が建てたお寺です。
「まつ」の仏教での名前が「芳春院(ほうしゅんいん)」であるため、お寺の名前も芳春院(ほうしゅんいん)となっています。
このお寺には、呑湖閣(どんこかく)が立派な姿で建てられており、飽雲池(ほううんち)という池を中心とする庭とともに、1617年(江戸時代)に造られました。ただし、1796年(江戸時代)の火災によって焼失し、現在の呑湖閣は1800年代に建て直されたものです。
芳春院は普段非公開ですが、例年、春と秋に特別公開されています。
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東福寺の伝衣閣
開山堂 東福寺 京都
楼閣部分は伝衣閣と呼ばれ「京の五閣」の一つに数えられています。 pic.twitter.com/5ovPrubLAk
— 建築ブックマーク 京都 (@kbookmark_kyoto) August 18, 2019
東福寺(とうふくじ)の開山堂(かいざんどう)というお堂は、上の層が塔(とう)のようになっており、この部分を伝衣閣(でんねかく)と呼びます。
屋上部分だけが塔のようになっている珍しい構造で、三国伝来(さんごくでんらい)の布袋和尚像(ほていおしょうぞう)が安置されています。
三国伝来とは、インドから中国または朝鮮半島を経て日本に伝わってきたことを指します。
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まとめ
京都において金閣と銀閣は有名ですが、実は銅閣もあります。また、銅閣とは別の話として、金閣・銀閣・飛雲閣を京の3閣、呑湖閣を加えて京の4閣、伝衣閣を加えて京の5閣と呼びます。京都観光が楽しくなる豆知識として知っておきましょう。
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