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臨済宗(りんざいしゅう)のお寺には、寺格(じかく)というお寺の格式、つまりランキングがあるのをご存知でしょうか?そのランキングのことを五山十刹(ござんじっさつ)といいます。この記事で詳しく解説しますので、京都観光の参考にしてください。
臨済宗寺院には寺格という格付けがある
曹洞宗(そうとうしゅう)や黄檗宗(おうばくしゅう)とともに、日本三禅宗(ぜんしゅう)の一つに数えられる臨済宗(りんざいしゅう)には、お寺の格式をあらわす寺格(じかく)というランキングがあります。
京都における臨済宗寺院のランキングについて詳しく紹介します。
五山十刹という格付け
その寺格とは、室町時代に始まった「五山・十刹(ござん・じっさつ)」という格付け制度のことです。京都五山は6つのお寺が格付けされており、五山の下には十刹として1位~10位まで(※1386年時点)のお寺があります。
つまり、最高位の寺格である五山と、それに次ぐ格式である十刹がランキングされているのです。京都だけでなく、鎌倉にも五山があり、十刹も関東十刹が格付けされています。
京都五山のランキングをご紹介
では、具体的な京都五山のランキングを紹介します。1位から5位まで以下のお寺が格付けされており、五山の上に別格として南禅寺が格付けされています。
京都五山(※1386年時点) | |
別格上位 | 南禅寺(なんぜんじ) |
1位 | 天龍寺(てんりゅうじ) |
2位 | 相国寺(しょうこくじ) |
3位 | 建仁寺(けんにんじ) |
4位 | 東福寺(とうふくじ) |
5位 | 万寿寺(まんじゅじ) |
※本来は足利氏の政治的な事情による格付け
京都十刹のランキングをご紹介
十刹は五山の下のランキングです。それぞれのお寺をまとめます。
京都十刹(※1386年時点) | ||
1位 | 等持寺(とうじじ) | ※現在の等持院(とうじいん) |
2位 | 臨川寺(りんせんじ) | ※天龍寺(てんりゅうじ)派のお寺として残る |
3位 | 真如寺(しんにょじ) | ※相国寺(しょうこくじ)派のお寺として残る |
4位 | 北禅寺(ほくせんじ) | ※廃寺 |
5位 | 宝幢寺(ほうどうじ) | ※現在の鹿王院(ろくおういん) |
6位 | 普門寺(ふもんじ) | ※東福寺(とうふくじ)の常楽庵(じょうらくあん)として残る |
7位 | 広覚寺(こうがくじ) | ※廃寺 |
8位 | 妙光寺(みょうこうじ) | ※建仁寺(けんにんじ)派のお寺として残る |
9位 | 大徳寺(だいとくじ) | ※現在の大徳寺(だいとくじ) |
10位 | 竜翔寺(りゅうしょうじ) | ※大徳寺(だいとくじ)派のお寺として残る |
ここで紹介した五山十刹は1386年時点のものですが、1490年(室町時代)には46のお寺が十刹となり、さらに後には60のお寺まで増加されたという経緯もあります。
京都五山に格付けされている寺社を解説
では、上記にて紹介した五山十刹のお寺が、具体的にどういうお寺なのか、それぞれ紹介していきたいと思います。
別格上位の南禅寺
五山よりも上に君臨する南禅寺(なんぜんじ)は、京都市左京区にあるお寺で、臨済宗南禅寺派の大本山(だいほんざん)です。
正式には太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)といい、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)という仏さまを本尊(ほんぞん)としています。
南禅寺は、1264年(鎌倉時代)に亀山天皇(かめやまてんのう)〈在位:1260年~1274年〉が母である大宮院(おおみやいん)の住まいとして造った禅林寺殿(ぜんりんじどの)が前身です。
亀山天皇が無関普門(むかんふもん)というお坊さんを迎えてつくりましたが、無関普門(むかんふもん)は迎えられた年に亡くなってしまったため、規庵祖円(きあんそえん)というお坊さんが第2世に選ばれました。
1292年(鎌倉時代)には伽藍(がらん)の整備が本格化して、およそ15年かけて各伽藍が整いました。そのため、規庵祖円(きあんそえん)が開いたお寺といわれています。
1位の天龍寺
京都五山第1位の天龍寺(てんりゅうじ)は、京都市右京区にあるお寺です。後醍醐天皇(ごだいごてんのう)〈天皇在位:1318年~1339年〉を弔(とむら)うため、1339年(室町時代)に夢窓疎石(むそうそせき)というお坊さんを招き、足利尊氏(あしかがたかうじ)により開かれました。
光厳上皇(こうごんじょうこう)<天皇在位:1331年10月22日〈元弘元年9月20日〉- 1333年7月7日〈元弘3年5月25日〉)や足利尊氏が荘園(しょうえん)という土地を寄付したものの、費用が足りなかったので、中国の元(げん)と貿易を再開しました。
元へ派遣された貿易船のことを天龍寺船(てんりゅうじせん)といいます。無事に費用を工面し、1345年に天龍寺は完成しました。
長い歴史の中で何度も火災にあい、特に室町時代の大戦である「応仁の乱(おうにんのらん)」では大きな被害をうけ、1585年に豊臣秀吉の援助を受けるまで復興できませんでした。以降も火災被害や再建を繰り返しながら現在に至ります。
2位の相国寺
京都五山第2位の相国寺(しょうこくじ)は、京都市上京区にあるお寺です。有名な金閣寺(きんかくじ)〈正式には鹿苑寺(ろくおんじ)〉と銀閣寺(ぎんかくじ)〈正式には慈照寺(じしょうじ)〉は、相国寺(しょうこくじ)の塔頭(たっちゅう)ですので、このことからも相国寺の規模や格式をご理解いただけることでしょう。
相国寺は、1382年(室町時代)に3代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)が、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)というお坊さんや、義堂周信(ぎどう しゅうしん)というお坊さんを招いて、建立を計画しました。
1383年(室町時代)には、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)の師匠である夢窓疎石(むそうそせき)が初代のトップに、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が2代目としてお寺に入りました。
1384年(室町時代)には仏殿(ぶつでん)というお堂が建てられ、1392年(室町時代)にはお寺が整いましたが、その後の火災で全焼しました。
1396年(室町時代)にはほとんどの伽藍(がらん)が建て直されたものの、その後も何度か火災で燃えてしまいました。豊臣秀吉や徳川家康の援助により、その度に復興しています。
3位の建仁寺
京都五山第3位の建仁寺(けんにんじ)は、京都市東山区にあるお寺です。建仁寺は1202年に、鎌倉幕府の2代将軍である源頼家(みなもとのよりいえ)が敷地を寄付し、栄西(えいさい)というお坊さんが建てたお寺です。
初代将軍は言わずと知れた源頼朝(みなもとのよりとも)ですから、その次の将軍の時代ということです。そして、1202年は建仁2年ということで、元号である「建仁」をお寺の名前にしました。
建仁寺は、俵屋宗達(たわらやそうたつ)という画家が描いた「風神雷神図(ふうじんらいじんず)」という屏風(びょうぶ)や、法堂(はっとう)という建物の天井に描かれている「双龍図(そうりゅうず)」などが有名です。
4位の東福寺
京都五山第4位の東福寺(とうふくじ)は、京都市東山区にあるお寺です。摂政(せっしょう)という高い位の公卿(くぎょう)だった九条道家(くじょうみちいえ)が、奈良の東大寺(とうだいじ)の大きさと、同じく奈良の興福寺(こうふくじ)の繁栄にあやかり、「東」と「福」の文字をとって東福寺としたお寺です。
1236年(鎌倉時代)から1255年(鎌倉時代)までの19年を費やして完成しました。
工事中だった1243年(鎌倉時代)に、円爾弁円(えんにべんねん)というお坊さんを招いて、天台宗(てんだいしゅう)・真言宗(しんごんしゅう)・禅宗(ぜんしゅう)を学ぶお堂を配備したのですが、1319年(鎌倉時代)~1336年(室町時代)の相次ぐ火災によって多くを失いました。
復興後は禅宗のお寺として伽藍も整い、本尊(ほんぞん)で15メートルの大きさだった釈迦仏像(しゃかぶつぞう)や、7.5メートルの観音菩薩(かんのんぼさつ)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)など、巨大な仏像が安置されていました。
しかし、残念ながら1881年(明治時代)の火災で焼失し、現在は釈迦仏像(しゃかぶつぞう)の左手だけが残っています。
その火災では、法堂(はっとう)や方丈(ほうじょう)など複数のお堂を失いましたが、三門(さんもん)をはじめ、何とか火災を免れたお堂もあり、古い歴史を今に伝えています。
5位の万寿寺
京都五山第5位の万寿寺(まんじゅじ)は、京都市東山区にあるお寺です。1434年(室町時代)の火災により衰退(すいたい)し、明治19年に東福寺の塔頭(たっちゅう)となりました。
明治14年に東福寺の仏殿(ぶつでん)というお堂が燃えてしまった際には、万寿寺にあった釈迦三尊像(しゃかさんそんぞう)を東福寺に移し、新たな本尊としました。
この仏像が現在東福寺の本堂に祀(まつ)られている本尊釈迦三尊像です(※元々は三聖寺というお寺に安置されていた)。ちなみに万寿寺は非公開のため拝観はできません。
京都十刹から人気寺院をピックアップ
続いて、京都十刹の寺院を紹介します。既になくなっているお寺も多いので、現在の人気スポットとなっている寺院をピックアップして紹介します。
京都十刹1位の等持院
京都十刹1位の等持寺(とうじじ)とは、現在の等持院(とうじいん)で、京都市北区にあるお寺です。等持院は1341年(室町時代)、室町幕府初代将軍の足利尊氏(あしかがたかうじ)が、天龍寺の夢窓国師(むそうこくし)というお坊さんを招いて建てたのが始まりです。
室町時代の大戦である「お応仁の乱(おうにんのらん)」などで被害をうけましたが、豊臣秀吉が息子の秀頼(ひでより)に建て直させたほど、重要なお寺だったのです。
足利将軍家の歴史を感じられる文化財が、今もしっかりと残されています。
京都十刹5位の鹿王院
京都十刹5位の宝幢寺(ほうどうじ)は、現在の鹿王院(ろくおういん)のことで、京都市右京区に存在します。
室町幕府3代将軍だった足利義満(あしかがよしみつ)が宝幢寺(ほうどうじ)を建てたのですが、室町時代の大戦である「応仁の乱(おうにんのらん)」で廃れてしまい、その後は塔頭だった鹿王院が引き継いでいます。
そんな鹿王院は紅葉の穴場スポットとして知られています。
京都十刹9位の大徳寺
京都十刹9位の大徳寺(だいとくじ)は、京都市北区にあるお寺です。大徳寺は、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)というお坊さんが、紫野(むらさきの)という地に小さな建物をたて、「大徳」と名付けたのが始まりです。1315年(鎌倉時代)からの歴史があるお寺と伝わっています。
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)<在位:1318年~1339年>から「本朝無双の禅苑(ほんちょうむそうのぜんえん)」という評価を受け、五山(ござん)の上に格付けされました。
しかし、対立する夢窓疎石(むそうそせき)というお坊さんを拠(よ)り所とした足利尊氏(あしかがたかうじ)が権力をにぎると、大徳寺は一気に衰えました。
格付けも五山の下の十刹(じっさつ)に落とされ、自(みずか)ら五山を離脱しています。
室町時代の大戦である「応仁の乱(おうにんのらん)」で炎上した大徳寺ですが、一休さんの愛称で知られる「一休禅師(いきゅうぜんじ)」が住職となり、堺の商人の協力を得て復興に力を注ぎました。
豊臣秀吉により織田信長の葬儀が行われたり、千利休(せんのりきゅう)とのかかわりが深いなど、歴史上の人物とゆかりがあるお寺です。
まとめ
臨済宗のお寺には、室町時代に始まった五山十刹という格付け制度があります。京都五山は6つのお寺が格付けされており、五山の下には十刹として1位~10位まで(※1386年時点)のお寺があります。こんな予備知識を持って京都観光をすれば、より一層楽しくなりますので、ぜひ知っておきましょう。
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